第31号 平成23年4月・5月発行
慚について-理想を掲げて恥を知る自律の精神-
城福 雅伸
仏教では、心と心の働きを分けて考えます。心の働きには善の心の働きもあれば、よからぬ心の働き、つまり悪の心の働きもあります。後者には煩悩・随煩悩があります。よい心の働きが働いている心のことを善心といいます。
慚は、善の心の働きの一つです。ですから、慚が働いている心は善心ということになります。善の心の働きの中で最も尊いのは慈悲(慈と悲)ですが、最も好ましい心の働きがこの慚です。
では、慚とはどのような心の働きなのでしょうか。慚とは、理想(仏教では教え)を敬い心に掲げふり仰ぐ。そして、もしその理想にはずれるような行為をした時には、その掲げた理想と自分の良心から恥じることによって、自分をあるべきもとの姿、理想に進む方向に引き戻してくれる心の働きです。悪を正して行くのは恥じることによるということです。つまり、慚とは自分を理想の姿に近づけて行く心の働きといえます。この場合の恥じるとは、お金がないことなどが恥ずかしいといったことではなく、理想にはずれることに対してであるということに注意が必要です。
立派な人間になりたいと思ってもそれは難しいことと思われるかも知れません。しかしそれは難しいことではないというのが仏教の立場です。理想を懐き掲げればそれに近付けるということです。まさに慚は誰からいわれることなく、自分で自分を律し理想に近付けて行く心の働き、自律の精神といえましょう。
慚を懐くと何が自分の理想にかなう行為か、何が立派なことか、何を見習うべきか、だれが自分が学ぶべき人かわかっているといいます。たとえば現代の刀匠が関の孫六などの理想を追い求め、そのような名刀を作刀しようと心がけていれば、刀を見るとその善し悪しがわかる。そしてよい刀からは学ぶべきかがわかるということなのです。向上は才能ではなく、何を志しているかで決まるということなのです。
さらに、慚を心に懐きますと、悪心である無慚を消滅させます。無慚とは慚の正反対の恥知らずの心の働きで悪の心の働きです。
世界を回ってきたイスラム教徒の人々の中で一致する見解があり、それはイスラム教国を除くと日本を評価するということです。なぜなら日本人の倫理観、人間性が優れているというのです。日本人は宗教がないといわれますが、そうではなく、厳格な戒律を守っているイスラム教徒の人々からさえも評価されることを、ほのかな仏教の恥を知る精神でなしとげているということでしょう。この恥を知る精神は武士道の精神でもあります。
ですから、私たちは必ず崇高な理想を心に掲げるべきなのであり、また子供たちを育てる上でも崇高な理想を心に懐かせるように育てるべきであることがわかります。子供たちに英雄の話や優れた人の話と言った理想を語るようにしましょう。まちがっても理想をつぶすような話や悪い話は聞かせてはならないということになります。
このように理想とその理想を掲げた自己の良心から、悪や過失を恥じて止め、悪行を消滅させて行く自律の精神が慚の心の働きです。