第27号 平成22年7月・8月発行
誠意のあること、誠実さ、まじめなこと
城福 雅伸
世の中には、まじめなことを笑う人がいます。どうしてなのかわかりませんが、不誠実で、ものごとにふまじめなことがいいのでしょうか。
さて、まじめというのは、ものごとに真剣に、そして誠実に取り組む姿勢といってよいでしょう。誠実さ、誠意のあることと言えましょう。
では、仏教ではこういった、誠意のあること、誠実さ、まじめさに相当する徳目はあるのでしょうか?
それは不放逸という心の働きで表されているといってよいでしょう。
不放逸とは、断つべき悪を断ち、行うべき善を行い、一切の世間と出世間の善事を満たして行く心の働きで、善の心の働きの一つに数えられています。
まじめということも、誠実さも、誠意あることも、いずれかというと、善にかかわって述べられるか、少なくとも望ましい方向に向上すること、また善や望ましいことを達成することにひたむきであること、真剣である姿勢をいいますから、不放逸といってよいことがわかります。やはり仏教もまじめなことを非常に気高い心であると位置づけているのです。
なお、ほしいままに悪事をする心の働きは、仏教では放逸という随煩悩というよくない心の働きということになります。放逸とは現代で言えば「ふまじめ」といえ、善いことをせず、わがままに、ほしいままに、しまりなく暮らしていく心の働きです。
このようなわけで、現代で言うまじめさ、誠実さ、誠意のあることは、仏教では不放逸といえます。
少し難しい話になりますが、護法というインドの大学者は、不放逸とは、以前述べました善を行うことに勇敢なこと、勇気あることである精進と、これも以前述べました怒らない心でやさしい心、親切な心、慈しみの心である無瞋と、執着しない心である無貪、そして仏教の道理がわかっているという無痴の心の働きの合成であると説明しています。
例えば、勇敢なこと、勇気あることであり、善へのひたむきな努力である精進の性格を考えてみますと、それは不放逸にもかいまみられます。また不放逸を現代で言う誠意あること、誠実さで考えますと、そこにはたしかに無瞋の慈しみ、親切さが含まれています。ですから、不放逸は優れた四つの徳目をあわせたもので、それは善やよいことへの凛とした精神ともいえるものです。
まじめさ、誠実さ、誠意あることを笑う人がいますが、それは、ふまじめで、わがままであることをよいといっているのと同じです。やはりそれはおかしいと思います。また何事もまじめに、誠実に取り組むことによってはじめて達成されることも多いでしょう。
しかし日本人の多くの人々は、まじめさ、誠実、誠意のあることは高く評価しており、これらは日本人の好きな徳目の一つといえましょう。そして、それは仏教でも称賛されている優れた徳目であることがわかります。つまり不放逸は日本人の好きな徳目の一つということになります。いつまでも、誠意あること、誠実さ、まじめなことを失わないようにしたいものです。