第15号 平成20年8・9月発行
「怒りの心は悪の心 -悪の心の中でももっとも悪く殺人まで起こす心、それが怒りの心-」
城福雅伸
怒らないということは難しいものです。だれも自分の気に入らないものに怒りますし腹もたてます。おそらく生まれてこの方、一度も怒ったことのない人はないでしょう。それほど日常的で身近なことなのですが、実は怒りは非常に悪い心なのです。
怒りの心をむつかしい仏教用語で「瞋」(しん)といいます。
これは仏教で言いますと、煩悩(ぼんのう)というよくない心の中でも非常によくない心、つまり悪の心です。(煩悩とか瞋って宗教学をとった方覚えていらっしゃいますでしょうか?(^_^)?)
厳密に言いますと煩悩は悪のものと有覆無記(うぶ(ふ)くむき:悪の要素が薄く、よくないという程度の性格)という性格としては二種のものがあるのですが、悪の種類しかないのはこの瞋、つまり怒りの心しかないのです。それほど悪い心ということなのです。
つまり悪の心の代表が怒りの心(瞋)です。仏教の哲学書では次のような意味が述べられています。
「怒りの心は自分の気に入らないものであれば、それがたとえ尊いものであっても、正しいものであっても、善のものであっても、自分のためになるものであっても、とにもかくにもなんでもかんでも、ありとあらゆるものに憎み怒る(`_')心です。そして自分の心をいらつかせ、さらに悪い行為を行わせる心です」
とにもかくにも何に対しても怒るのです。ここでちょっと注意が必要な点があります。
なぜ怒るのかという理由です。いいかえますと怒りの基準です。基準は一つなのです。
ただ「自分が気に入らない」ということだけです。相手が悪いからとか、よくないからではありません(当然そういう場合も含みますが)。後から理屈はつきますが私たちの怒りをつきつめますと、要するに「自分が気に入らない」からだけに他なりません。
これが非常に問題なのです。自分のためになることや正しいことや崇高なものに対しても怒るということを意味しています。そしてこのような怒りの心(瞋)は「今まで行ってきた善いこともすべて破壊する」ともいわれます。
もっとも重大なことは「怒りの心(瞋)はものの命を断じる」とされていることです。
つまり殺人を起こす心、これが瞋、つまり怒りの心に他なりません。さらに怒りの心はいろいろなよくない心や悪の心の発生源ともなるのです。
現代の社会ではキレルとかキレやすいとか怒るということを軽々しく述べ、流行のようになっていますが、このこと自体が大変にいけないことだとわかります。怒ることを権利か何かのように怒る人や感情的にすぐ怒る人をみかけますが、これはそういったことを知らないからだと思います。
人間ですから腹の立つことも怒ることもあるはずです。でもその時、どうかみなさんは、怒る心はいけない心、悪心の最たるものだ、殺人をも起こす心だということを知っておいていただくとありがたいのです。実はこれが重要なことなのです。