第8号 平成19年11月発行
「恥を知るということ」
蜷川 祥美
最近、テレビのお笑い番組を見ていましたら、軽快な音楽に乗せて「そんなの関係ねぇ~」と叫んでいる若手の芸人さんが出ていました。また、「どうでもいい ですよ~」と小さな声で歌っている女性の芸人さんも出ていらっしゃいました。どちらの芸人さんもよくテレビに出ていらっしゃいますので、人気がある方々な のでしょう。彼らの話す言葉は、子供達の間で流行語にもなっているようです。
これらの流行語は、その言葉の意味を考えてみるならば、投げやりな気持ちをあらわしているようで、私はどうも好きになれませんが、芸人さんたちの適切な ネタと巧みな話術で、多くの方々の笑いを誘うものですので、芸としてはすばらしいものであろうと思いますし、現代に生きる私たちの気持ちを、ある面で言い当てているので、流行しているのでしょう。
私たちは小さな頃から、「みんな仲良くしましょう」「人に迷惑をかけないようにしましよう」「困っている人がいたら助けてあげましょう」など、すばらしい生き方を示す言葉を教わってきました。
しかし、私たちみんなが本当にそのように生きているのかと考えてみたならば、そうではないじゃないかと思えるような出来事ばかりが目につきます。自分の利益のためなら、平気で他人をだまし、傷つけて、反省すらしない。こうした生き方は、「そんなの私と関係ねぇ~」、「他人のことなんてどうでもいいですよ~」という言葉で表現できるのではないでしょうか。(下線部は、芸人さんたちの言葉ではありません。)
仏教では、私たち一人一人の命は、多くの他の命とのかかわりのなかで生かされていると説いています。食事をいただくことを考えてみましょう。お魚、お 肉、ご飯など、すべて貴重な動・植物の命をいただいて、私たちは生かされています。また、そうした食材が私たちのもとに届くためには、漁をしてくださった り、飼育してくださった方々や、それらを買い付け、店頭に届く手配をしてくださった方々、輸送してくださった方々、さらには、家族のために、それらの食材 を購入するためのお金を稼いでくださる方、実際に店舗で食材を購入して、調理する方など、数え切れないほど多くの方々の努力のおかげで私たちは生かされて います。
これは一例ですが、何事もそのように考えていけば、私の命は、他のすべての命との関係なしではありえないのです。そうしたことに気づけたならば、せめて 私のまわりの命に対しての感謝の思いから、「みんな仲良く」、「迷惑をかけないように」、「助けてあげ」るべきだと思いますし、「そんなの私と関係 ねぇ~」、「他人のことなんてどうでもいいですよ~」という考えの愚かさに恥じるこころをもつべきではないでしょうか。
『涅槃経(ねはんきょう)』に「無慚愧(むざんぎ)を名づけて人とせず」とあります。恥を知らないものを人とは呼ばないといういう意味です。自身の心の現実をしっかり見つめ、反省をすることができたとき、本当の人と成ることができるのだということです。